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オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

明確な目的で検索してくる読み手に対して、無名の素人は何を発信すべきか考える ~なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか/嶋 浩一郎

作品への感想 読書

 

なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321)

なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321)

 

 ネット検索と比較して、本屋で本を探すことの楽しさが語られています。「知りたいことを知る」「知らないことを知る」この2つの違いを掘り下げています。情報を受け取る側としての心得として読み進めましたが、ふと情報を発信する側として考えるとどうなんだろうと思い始めると、それはそれで気づきがありました。良書であると思いましたが、1つ気になる点も。トーキョーの人感覚なんですよね、とても。歩いて書店に行ける土地に住んでいる人の語りであって、車に乗らないと書店に行けない地方民とは、微妙に肌感が合わないな、とも感じました。

なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか(祥伝社新書321) massa onionさんの感想 - 読書メーター 

 もうちょっと深堀る:「ふと情報を発信する側として考えるとどうなんだろう」

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 僕は将来本を出したいという夢があるので、情報の受信だけではなく発信する、という視点も意識してしまう。

 まずこの本では、繰り返し下記の比較が繰り返し行われる。

  • ネット検索は自分が「知っている言葉」がトリガーとなる=まったく知らない世界のことは検索すらできないから知りようがない、世界が広がらない
  • 本屋に行くと自分が「知らない言葉」が向こうから飛び込んでくる=特定の目的に沿った情報へ的確に到達できるとは限らない、無駄が生まれやすい

どちらが優れているわけではないが、昨今はネット検索が重要視されすぎている気がする。もっと本屋に通って「知らない言葉」、「自分が言語化できていない欲望」を刺激されようという主張。

 これを、では情報を発信する立場で考えるとどうなるか。インターネット上でしか発信する場を持たない無名の素人としての自分。

  ネット検索でたどり着く読み手は、何か明確な目的を持っている。〇〇を知りたい、とググる人たち。対してそこで情報を発信する僕は、専門家でも何でもない素人。求められているものに対して、まるで正反対の存在のような気がして、軽く滅入る。

 だけど、ではなぜ本屋が潰れ続け、インターネットで検索する人が増え続けたのか。おおむねAmazonのせい、で片付くけど、スマホ1台取り出せばたいていの情報にアクセスできる利便性、以外にも後押ししたものはあるはずだ。

 結局のところ、金を払って読むものは、どこかの誰かが仕掛けた何かの広告である。一般論として語るのも少し恥ずかしい気もするくらい、陳腐になりつつもあるこの考え方。広告以外のものが読みたくて、わざわざ素人のレビュー記事をクリックすることも、極々普通のことになった。

 では僕たちは広告以外の何か、に何を求めるんだろう?

 売る側ではなく買う側としてのメリットを共に追求する、言わば同志の言葉。対岸で偉そうに教鞭を振る教師の講義ではなく、真横に座っているクラスメートとのおしゃべりのような楽しい気分のシェアと傷の舐めあい。だます側の思惑には、立ち向かうのではなく、軽くかわして相手が見えないところでからかってしまうほうがより有効で楽しい立ち回りだとみんなが知った。昼間はせっせとモノを売って給料をもらって、夜は売ったお金を有効活用するために、売る側の本音を見破るゲームに興じる。鬼ごっこの鬼と逃げる役を交互に繰り返して遊ぶ子供のような。

 たしかに、ネット検索ではまだ見ぬ新しい世界の入口は見つからないのかもしれないけど、一つドアを開けたその先にある世界は、まるでひょうたんのような形で、本しかなかった時代よりも各段に広がりを持っていた。1度知ったその世界に飽きるまでの寿命がおそろしく長くなったから、僕たちの新しい世界を知りたいという欲求は格段に衰えていったのではないか。

 仮想世界そのものはこれからも拡張されていくのだろうか。地球の人口は相変わらず増え続けているけど、比例してこれからも仮想世界の住人は増えていくのだろうか。もしネットに接続する人間が「本当に」増え続けていくのなら、本屋のような場所で新しい世界の入口を探している暇はあるだろうか。むしろ水平に世界を見渡すのではなく、いまを生きるひょうたんのもっと深くその先へ進むことに忙しくしているうちに、寿命が尽きて死ぬ人が大半ではないか。売る側と買う側などという狭苦しい二項対立なんて、過去の遺物として教科書の中にしか存在しない物の見方になっているかもしれない。

 今回読んだこの本の筆者は、広告業を生業としている人だけど、筆者自身は世界の成り行きをどう見ているのだろう? 仮想世界に居場所を見出す人間は、増えていくと踏んでいるのだろうか。あるいは揺り戻しのように仮想世界への依存を見直す動きが始まると予想するからこそ、改めて「自らが知らない言葉」を受け取る価値を見直そうと訴えているのだろうか。ひょうたんのその先に進むべきか、あるいは全く未知の世界を発見する旅に再び出るべきなのか。まあ、たった今の世の中は、まだまだ仮想世界が広がっていくと信じる雰囲気なのは間違いないとは思う。だからひょうたんのその先を追いかけることばかりが価値を認められる風潮に一石を投じようとする本書は、筆者自身が言う「逆張り」で、売れる言葉を売れる場所に置くことに成功している、まさにプロフェッショナルの技を見せつけている本であることは間違いない。

 僕自身はひょうたんのくびれ部分で、どっちつかずの言葉を壁に落書きしているようなものだけど、いい加減そろそろきちんとしなくちゃいけないな、と焦る気持ちがないわけでもない。