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オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

一冊本を出す、という夢に向かって 現在のマインドと実際の行動を記録しておこう - 1 -

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 ブログの説明文に「いつか一冊本を出すことが夢」と書き、その決意表明?的な記事もポストした。が、その後はちんたら読書感想文や海外ドラマやゲームのことを書き綴っているだけである。それでは座りが悪いし、今日考えていることや実際の行動を書き記すこともしていかないと、忙しさに流されてしまう。いま、リアルの引っ越し中で(ブログではなく住居の)、2、3日バタバタしているだけで、このブログの更新も滞ってしまった。こうやって、中年1年生は夢より日常を追いかける日々の濁流に飲み込まれてしまうのである。 

1.まずなぜ「作家になる」ではなく「一冊本を出すこと」を夢としているのか

 「夢は作家です」というフレーズには違和感がある。自分の中で作家とは、
 
  1. 専業
  2. 小説など文芸寄りの分野で活躍している(ノンフィクション・エンタメ・技術系等は作家ではなくライター)
  3. インテリで社会的地位も高い

 

…というイメージで出来上がっていて、僕はそういうものになれるとは思っていない。なりたくないわけではないけど、挑戦権すら持っていないと思う。目標や夢には段階がある。
 

 と、言うものの、僕には1つだけ明確にカタチにしたいテーマがある。読ませたい相手もはっきりしている。そしてそれはおそらく、小説にするのが適しているのだろうと当たりもつけている。それを一冊の本というカタチにするのが、目標であり夢だ。その先があるのであれば、その時に考える。だから夢は「作家になる」ではなく「一冊本を出すこと」だ。

 

 

  2.目標によって自らを包むパッケージは変わる

 しかしまだまだ僕という人間は、全体的に煮込み足りないことを知っている。かつて僕は東京の小劇場の劇団で戯曲を書いていたことがある。それだけで食べてはいけないけど、一応お金をもらって公演をする劇団の作家、というパッケージの中では一定の成果を上げた。ところで僕は、人生何か1つの目標に向かって努力する、というターンに入ると、自分自身がその目標にふさわしい容量のパッケージに収まる、というイメージを持っている。
 
 例えば、大学受験の時。最初の目標は東京で中の上くらいのレベルの私大だった。それを高校3年の時に、そことは違う大学にどうしても入りたくなって目標を変更した。そこはレベル的には上の下くらい。且つ学科試験だけではなく難易度の高い実技試験も合格せねばならなくなった。その大学に目標を変更した時、僕を包むパッケージは一回り大きくなった。中の上がその先端だったが、さらに難度の高い目標を設定した時から、中の上は通過点になった。
 
 その後、僕は2浪することになるが、2浪目ともなると学力試験はすでに合格圏内となっており、その先の実技試験を突破することに集中できるようになっていた。そこで、予備校担当者の勧めもあり、より学力試験突破を安定させるため、六大学でもトップクラスの某大学を受験するためのクラスに通うことになった。学力だけで言えば、パッケージはもう1回り大きくなって、上の下すらも安定した。上の上を目指すクラスに身を置いたが故である。目標が自らを包むパッケージを変える、とはこういう到達点が経過点に移り変わるプロセスのことだ。
 
 小さな劇団の作家、という目標に比べ、一冊本を出すというもう一回り大きな目標を立てたいま、僕には書くための全てが足りないと感じている。パッケージは然るべき密度で満たされていなければならない。
 

3.ブログは全ての書くための素材を煮込む寸胴鍋である

 こう書くと見高な物言いと取られてしまうかもしれないが、小さな劇団が公演を行うための戯曲であれば、そこそこのものを仕上げる自信はある。しかし、これが世に一冊の本を出せるレベルとなると、己の実力など無に等しい。決定的に違うのは、有志の仲間が集った劇団は自分たちでそう名乗ってしまえば役者にもなれるし作家にもなれるが、本を一冊世に出す、とはプロの編集者に認められるとか、自身のブログが圧倒的なPVを叩き出すなど、世間一般、他者からの何かしらの承認が不可欠となる点だ。
 
 書いて作品を創ることを、素材をスープの状態まで持っていくようなイメージに重ねたとして、まず必要なことは素材を柔らかくなるまでコトコト煮込むことである。自分にとってブログを書くとは、まず素材を試しに煮込んでみて、どういう味や風味が引き出せるのかを試しているようなものだと思う。ともあれ、何かこれは書くため素材になりそうだと思ったものを、試しに突っ込んでみる鍋だ。それもかなり大きい寸胴鍋だ。ブログのタイトルであるオムニヴォア=Omnivoreとは雑食性の、という意味で、それが転じて知識欲旺盛な人という意味にもなるらしい。調味料で味を付けるのは、本当に最後でいい。僕は、このブログになんでもかんでも突っ込んで、何か決定的にこれだ!と確信を得られる瞬間を待っている。これまでの経験から、最初は下手な鉄砲数撃ちゃ当たるのガムシャラな努力も、何かをきっかけに、現在のパッケージにふさわしい洗練された道筋が見えてくる瞬間が訪れることを知っている。無駄を削ぎ落とすためには、無駄なことを一巡しなければならない。だからもう、とにかく書く。
 
(- 2 - に続く)