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オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

一冊本を出す、という夢に向かって 現在のマインドと実際の行動を記録しておこう - 2 -

夢を叶えるために

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massa-onion.hatenadiary.jp

 

4.ブログを書くために本を読む 本を読んだからブログに書く

 
 誰に強制されたわけでなく、自分の意思で立てた目標があったとしても、毎日続けるモチベーションを保つことは難しい。仕事から帰ってきて、疲れた体と頭にもうひと頑張りさせるには、何か別の仕掛けが必要だ。思えば、若い頃はそんな自分も認めたくなかった。今は…、そういう自分も引き受けることができている気がする。心から望んでいることだって、体が疲れていてはどうにもならない。だけど、どうにもならない自分をそのまま認めてしまっては、夢はいつまで経っても叶わない。どこかで無理をする必要があるのだ。少なくとも、僕は書くことで自分と家族が食べていけるだけの収入は得られない。であれば、やるべきことは決まっている。仕事に拘束されていないわずかな時間の隙間を、ぴったりと埋めていく必要がある。

 

 ブログに何かを書く作業は楽しい。はっきり言ってしまえば、読まれることよりも、書くことは楽しい。書くことは目的であり、手段ではないのだ。書くことは何よりも気持ちの良いものだ。本を読むことよりも、ドラマを見ることよりも、ゲームをプレイするよりも、書くことは楽しい。そんな享楽的な行動も、肉体的な疲労には叶わない。そこで、書きたいという気持ちにもっと燃料を投下するために、僕は本を読む。本を読めば、より書きたい気持ちが大きくなる。書きたいから読む、読むから書きたい。欲求の強さを、疲労感に勝たせるために、僕にはブログが必要だ。
 
 

5.ブログだけではない、小説の素になる"何か"も書いている ノートにボールペンで

 
 キーボードを叩くだけが書くことではない。僕は外出している時、ノートとボールペンで文字を書いている。内容は、これから書こうと思っている小説のことだ。タイトル、テーマ、描きたいシーン、色々なこと。ノートに文字を書いていると、ふとその手が止まる。そしてレストランの窓からじっと外を見つめる。考える。考えたことを心のなかで文章にして読み上げて、それと同時に言葉にならないイメージや感傷に浸る。数分間、そういう静止があって、再びノートに目を落としてボールペンで文字を書く。一区切りついたら、スマホのカメラでノートを写真に撮ってEvernoteに保存をしておく。
 
 どちらかというとブログを書いている時間が長いけど、持ち運びできる大きさのパソコンは持ち合わせてはいないし、スマホで文章を書くのも効率が悪いので、外出の時に隙間時間ができればこのノートとボールペンで書く時間を作っている。一冊本を出すという目標を達成するために、小説を書こうとし、そのための自分作りのためにブログも書いているけど、実のところそのボールペンで書いている小説と、キーボードを叩くブログと、どちらが本として形にすることができるものなのか、曖昧になっている。本当は小説の方が上位に来るべきはずなのだけど、ブログも僕の全てという感じがして、もうよくわからない。
 
 

6.その過程をもっと楽しんでいいのだと、今は思う

 
 具体的なスケジュールを切っていくのは、小説が執筆の段階に入ってからと決めている。そもそも小説として書いていくかもわからない部分がある。便宜的に小説がしっくりきそうだ、という前提で進めているけど、アイデア次第で他の形に移行していくのかもしれない。今は力を蓄えるべき時で、ある程度の道筋をイメージしたら後は無駄に思えることや寄り道も積極的に受け入れるつもりでいる。とはいえ、方向性を一定にホールドしておきたい。結局のところ、書くことは人生全てに通じていくから、放っておくとふわふわ幸せではあるけど何も形としては残らないということになる。一冊本を出す、という大まかな境界線を引っ張っておくためにこのブログは役に立つ。
 
 ブログに今日という日を記録しながら立ち止まり、明日の自分をしっかり見据える。ただ漠然と生活しているだけでは、一つの目標に向かってはいけない。人生が一つの目標に向かうモードに入るのはいつぶりだろう。ここまで生活することに忙しすぎて、毎日生きていくのがやっとだった。子供たちも(まだまだこれからだけど)少し手が離れるようになった。僕の中で、何かが起きてそのタイミングが訪れたのだろう。今は長い道のりの、まだスタート地点付近だけど、僕はゴールに向かって歩き始めている。道筋は具体的ではないけれど、ゴールを目ざす。大丈夫。前に進む気持ちさえブレなければ、いつか道筋が見えてくる。今までだってそうやってきた。
 
 20代のあの日々を思い出す。その過程をもっと楽しんでいいのだと、今は思う。あの頃も十分に楽しんでいたとは思うけど、ゴールに辿り着くことそのものにこだわりすぎていた気もしている。もっとその途中で出会う事件や人々を大事にするべきだった。そういう反省もなくはない。
 
 僕はもう自分だけのことを考えて生きていくことはできない。家族がいる。職場の人間関係だってある。その責任は、重荷というわけではなく、僕を幸せにしてくれる大事な重みだ。20代のようなフットワークはもう望めないけど、それはそれで悪いことばかりではないはずだ。一分一秒を大事この道程を噛み締めていきたい。