オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

そこまで危機感を全開で煽ってくる本ではない。経済学者の本ではなく、夢見る1人のお父さんの本だ /  親なら知っておきたい 学歴の経済学 :西川純 【その2】

その1はこちら 

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 しかし世の中はついにその辺の本屋で買える本に、だったら職業訓練をしっかり受けられる高校に入って、卒業後すぐに就職するほうが賢明だ、と書かれているようになってしまったのだ。

まだ僕が現役の高校生だった頃は、○○工業高校といったところに通う人間は、進学校に行けない子が通うというイメージが根強かった。今や、ふわっとした職業色の薄い学部しかない大学への進学が大っぴらに疑問視されている。時代はたしかに変わった。「親なら知っておきたい 学歴の経済学」では、東大、京大に行けないなら、大企業にコネがある高校に入って卒業後すぐに就職した方が良いとまで言い切っている。

 

 やはりこれは自分の気質の問題で、社会の行く先を見通す力があったとは思えないが、それでも僕が当時感じていた「漠然と進学組」に対する嫌悪感は、ここにきて肯定されることになった。自分がそうしてきたような、あからさまに気に入らない存在につばを吐くような下品な立ち振舞を、子供たちにして欲しいとは思っていないけど、なんとか自然に、それが当たり前だよという涼し気な雰囲気で、夢や信念を持ってもらうことはできないだろうかと考えている。

 

子供をわざとらしく褒めるようなことはしない。

 それはそれで白々しくて恥ずかしい。そうではなくて、極々当たり前に「お前にはできて当然だよ。頑張ってるからね」というメッセージを、毎日毎日日常会話にしつこいくらい盛り込んでいる。100点の答案を見せてきても、大きなリアクションなんて見せてあげない。「あれだけ勉強してるんだもん。お前なら100点くらい取れるよねー」と、さり気なくでもはっきりと、お前は努力しているし結果も出ているという事実を伝えるようにしている。そこにあえて付加価値を与えない。努力すれば必ず結果が出るものだ、ということを日常的な空気感にしようとしている。わざとらしくは褒めない。本人の努力を褒めて認めることを日常に、当たり前にするのだ。
 
頑張ればできる、ではまだ足りなくて、目標を立ててそれに向かって努力するのは当たり前で、そこに心理的なストレスなど感じない、というレベルまで体に染み込ませてあげるのが、僕なりの親心だ。社会や環境がどんなに変わろうとも、このメソッドは汎用性があり、強い。
 
 そういう生き方を身につけるための訓練の場として、学校の勉強は理想的だ。日頃、妻と話していることがある。
 

学校の勉強なんて頭の善し悪しが問われているわけじゃない。生活習慣の良し悪しだ。

毎日決まった時間、勉強机に向かわせることができるかの勝負。それを実現させるために親の負担は、決して軽くない。平凡な夫婦の僕達だってできているのだから、難しいとまで言うつもりはないけど、夫婦二人でのんびり暮らしていた頃と比較すれば、自分たちを律しなければいけない場面は多くなる。
 
決まった時間に起きて、決まった時間に食事を作り、決まった時間にお風呂に入れて、決まった時間に寝る。決まった時間に勉強をさせようと思えば、当然こうなる。毎日のこの循環を作り出す要である妻には頭が下がるばかり。
 
 なかなか大変ではあるけれど、それでも特別な才能はいらない。努力すれば誰だってできることだ。そして得られるものは大きい。従来の学歴社会モデルが崩壊しようとも、この国で自分の思い描く人生を生きる上で、「学力」は価値を失っていない。少なくともテストで良い点を取れることがマイナスに働くことはない。以前より、直線的に収入の豊かさを与えてはくれないというだけで、「学力」はまだまだ強力な武器となるだろう。そしてそれを得るのに特別な才能はいらない。頭の良し悪しではなく、生活習慣の良し悪しだからだ。
 
勉強はやればやっただけ成果に繋がって、様々な場面で助けてくれる。何歳になっても死ぬまで。親が子供に与えるべきものは、健康、心、そして学力だろう。やればやっただけ伸びるのだから、やることを「当たり前」にできれば、親の勝ちだ。僕はそう考えている。
 

いつか、子供たちは本当に具体的に、現実に即した形の夢や目標を持つだろう。

その時人生の岐路で漠然と何かを選択する、なんて概念すら持たせたくない。至極当然のこととして、将来これをやりたいから今これをする。息子たちにはこういう考え方を骨の髄まで染み込ませたい。
 
 子供の時にそれを身に付けられなかった人間が、大人になって急にそれを社会から要求されることほど残酷なことはないだろう。息子たちに、できるだけ自分で自分を重苦しく責めるようなことをして欲しくない。自分にはこれができる、と他者との関わり合いの中で自信を持って欲しい。そして他者に優しく尽くすことこそが、より自分を幸せにするのだと気づいてほしい。しかしそれ以前に、自分で自分を認めてあげることができなければ、他人を思いやることだってできないだろう。
 
繰り返すが、「他人とは、社会とは、自分の惨めさを測るものさしではなく、自分の価値を相対的に気づかせてくれるありがたい存在」なのだ。
 
 子供時代は、その礎を築くために一分一秒が貴重だ。とはいえ、子供たちが自分でそれに気づけるわけもない。大人だからわかることだ。子供たちが持っている宝石のような可能性は、大人が守ってあげるべきものだと思う。子供たちは自分自身を雑に扱う。人生を逆算してプランを練ることなんてできるわけもない。だからそういう部分は、親がこっそり考えていてあげればいい。子供は忙しい。考えたり感じたりしなければいけないことがたくさんある。気の回らない部分を、大人が代わりに計算しておいてあげればいい。
 
 たまたま僕は、自分の息子たち二人の子供の親という役目を請け負っている。必ずしもそれが親でなくてもいいとは思うけど、親という立場は自然に子供を守ってあげられる立場だ。僕達親子は、幸運にもそういう「普通」に恵まれているから、彼らが大人になるまで二人三脚でやっていけたらいいと思っている。子供たちは今はそんなことに気づいてくれなくてもいいけど、大人になった時「親父もあの手この手を仕込んでやがったんだな」と笑ってくれればいいなと、密かに期待はしている。
 

 すっかり自分語りになってしまったが、最後に本書のことも。

親なら知っておきたい 学歴の経済学」は、多少の不幸を抱えている本だ。タイトルが悪い。ベストセラーのタイトルをもじるために「経済学」などと入っているが、経済学と冠するほど経済の話はしていない。作者ご本人の意向であったなら何も言うことはないが、出版社側のセンスであれば、これは不幸以外何者でもない。実際に書かれている中身と大きく乖離している。 


 ではどういう本かというと、良い大学に入っても、今は必ずしも正規雇用となるわけでもなく、終身雇用も崩壊しているわけだから、昭和の時代から続いてきた幸せのビジョンは崩壊していますよ、という本だ。作者の論だけではなく、データも随所で示しながらの解説も入る。(でも経済学、というほどの深さも難解さもない)

 ただ、それで終わるわけではない。むしろ主旨はその先にある。社会全体で共有できる幸せが崩壊した今、個々人が自分の価値観で見出す独自の幸せを追求する社会になるとしている。これからの子供たちは、自分で幸せの価値観を創り出す力を身につけるべきだと。そして、経済的にも、精神的にも、他者との助け合いが必要になる、と。

人口がどんどん減っていく流れでは、収入は減ることはあっても増えることはない。夫婦が子供を育てるのには共働きが前提になり、そうなると夫婦の親世代にも協力してもらう必要がある。子供が育てば、彼らにも働いてもらい稼ぎを家計に入れてもらう。ようするに、戦後豊かになるにつれ進んだ核家族化のゆり戻しがやってくる。

 またそうなれば人の心の有様も変わってくるだろうとも語られていく。家族単位だけではなく、地域という単位でも助け合わなければ生きていけなくなる。自然と、お互いにできることを持ち合って、足りないものを補っていくことになる。繋がりができる。

 まあ、こういう未来像は、最近よく見かけるものだ。それを学歴社会の崩壊という観点で考察しているのが本書だ。一つの価値観が壊れゆくことに、前半は現代が抱える問題に対し厳しい言及もあるが、後半に進むにつれて前向きな提言が多く入ってくる。未来は変えられる、を地で行っている明るい話が増える。

 最後の章は「将来、学校の教室はこんな光景になるはずだ」というテーマの小説風のストーリーが始まる。作者の温かい人柄がよく滲み出ていて、ほっとさせられる。子供たちに良い未来を繋いであげなければという気持ちになれる。

 だから、ちょっとタイトルで損をしている本だと思う。そこまで危機感を全開で煽ってくる本ではない。経済学者の本ではなく、夢見る1人のお父さんの本だ。前半の問題提起は、後半にやってくる夢語りへのタメだと思って、あまり深刻にならずに気軽に読み進めるといいと思います。
 

 

親なら知っておきたい 学歴の経済学

親なら知っておきたい 学歴の経済学