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オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

スカイリムの別ブログ立ち上げた(2) / テキストで描かれる「わたし」と、ゲーム内で実際に歩いて敵と戦う「わたし」。その2つを繋げて同一の物と定義できるのはテキスト表現しかない

 
  さて、話を戻すと、今回のジプシーで僕を悩ます1つの命題があった。どうやって「書くこと」に結びつけるか、だ。このブログを作ったのも、「1冊本を出す」という夢に向かって、自分の生活に指向性を持たせるためだ。このブログを更新するためにアンテナを広げて、実際の行動に落とし込めば自ずと夢に向かって1歩前進できるように、生活をデザインしている。
 

ゲーム選びも当然このオムニヴォアに寄り添って進めていくのが正解のはず。

となると、プレイした時間を記事の本数で割って考える、という計算が成り立ってくる。例えば、超大作のゲームを100時間かけてクリアして、それで1本の記事しか書けないとしたら、これはコスパが悪いと言わざるを得ない。

 

100時間も楽しんでプレイすれば、自分の内面にはもっと書くためのネタが蓄積しているであろうけど、それではどうもテンポ感、スピード感に欠ける。今は一定のペースでビルドして積み上げる時期だから、明確なノルマがあるわけではないけど、1週間に最低でも3本くらいは記事をアップしていきたいと考えている。感覚的なものなんだけど、大体これくらいで書いてアップしてれば大丈夫、と思える。だから100時間プレイして1本の記事では割に合わない。

 
読書の方ではパターン化に成功した感のある、1冊1記事スタイルが、ゲームにおいてはそもそも無理がある、とふと気づく。本は行為としてはシンプルで、読んで咀嚼する、で1ターンを完結できる。さらにその1ターンは5時間くらいで見積もっておけば良い。5時間で1記事なら悪くない。ゲームはそうもいかなくて、例えば延々とフィールドでレベル上げをするとか、2ちゃんねるのスレッドの雰囲気についていくために、攻略サイトなどで勉強するとか、ただプレイするといっても、読書と比べてやらなければいけない要素が多い。それこそマリオメーカーなんて、1本ブログを立ち上げて、そこそこの安定軌道に乗せるくらいの作業量だ。僕はやったことないけど、マインクラフトなんかも、何を持ってプレイ、そしてクリアとするのか、そこから自分で好きにやっちゃってくださいね、というゲームだ。ゲームは実に複合エンタテインメントなのである。
 「書くこと」に結びつけていこうとすると、継続的に長い期間プレイするスタイルのゲームの方が相性が良いと改めて気づく。このブログを作った当初から、「ドラゴンクエスト10」はカテゴリ化して整理しておいた方がいいだろうと想像していたりするので、ある程度自分の中に答えはあったようだ。中途半端に時間がかかるミドルレンジのゲームが1番厄介だ。10~20時間でスパッと終わるか、1年遊べるか。50時間は遊ばないと語るに至れず、でも100時間くらいで寿命が来るのが1番手に余る。やっぱり僕にはFF15ではないのだなぁと。
 

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余談だけど、FF15くらいになると、買わない・買ってはいけない理由を作るのも大変だとしみじみする。

多くの人が遊ぶタイトルだから、その空気感を共有するだけでも買う価値はあるのだが、今の僕はここまで書いた理由で、たった今はこのタイトルには食いつけない。食いついてはいけない。
 
 しかし、ここまで書いていて思ったけど、何も「書くこと」に結び付けなくても、1本のゲームをプレイするに当たり、何らかの付加価値が必要な人って今という時代、結構多いのではないか。それこそ、実況動画を作るとか、その場で集まった人とささっと協力プレイができるとか、あとは最近だとパチンコなどのギャンブルの代替行為としてゲームをしている層も増えているだろう。ゲームというコンテンツを純粋にゲーム部分だけで楽しむ人が、全体の何割いるんだろう。僕の肌感では多くて6割、下手すると5割切りもありえる気がする。
 
こう考えて、オフラインRPGでせいぜいプレイ時間の寿命が100時間程度の中途半端な大作がどこまで売れるんだろう。FF15はゲームとしてのデキそのものも気になるけど(ここで信頼を回復できなかったら、本当のファイナルになるだろう)、売れ行きそのものも非常に気になる。「買う」選択をした人がどれだけいるのか。ビッグブランドの先行きを決める国民投票だ。
 

「書くこと」に結びつられて、遊び尽くすのに果てが見えないくらいのボリューム。そしてユーザーレビューも上々。

さらに平均的なソフト1本分のお金を払えば、継続的に課金される要素もない。探しに探して、見つけたゲームが、「The Elder Scrolls V: Skyrim Special Edition」だ。

 

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Fallout4で一通りのオープンワールドの歩き方をマスターした次に、ベゼスダソフトワークスが打ち立てた金字塔的作品に挑むにあたり、よりこのゲームプレイ体験を豊かなものにしたいと考えた。そこで、日々のプレイを記録するだけでなく、小説風のテキストに仕上げようと思い立った。主人公のキャラメイクを、容姿や名前だけでなく、生い立ちの背景、心理描写に至るまでを構築し、ロールプレイの延長としてプレイ日記を記録する。そうすることで、ただゲーム内でロールプレイする以上の濃密な体験ができるはずだと踏んだのだ。
 
 ようやくこれでゲームにどっぷりハマる言い訳が立った、というところだ。ゲームを楽しむことと、「書くこと」のトレーニングを兼ねる。仕事をしなくてもいい自分の時間を、効率良く無駄なく回せるのではないだろうか。
 
ついでに、僕はかつてニコニコ動画で熱心にプレイ動画を投稿していた時期があって、その時の趣味もまた再開できるおまけ付きだ。動画単体でやれることは、大体自分の中でやり尽くした感があり(ここでも僕はユニークな体験を求めていた)、最近はほとんどプレイ動画を作ることもなかった。1本目の記事を試しに作ってみて思ったのが、ゲームを素材に小説的なことをするのであれば、
 
わたしは山賊に斬りかかった! バシ! 肩に命中! 血が飛んだ!
 
とテキストで表現する必要ってないな、と思ったのだ。そこはプレイ動画で見せてしまえばいいのかな、と。
 
動画で見せづらい部分をテキストで、テキストで見せづらい部分は動画で、とやっていくと何か面白いかもしれないと考えている。
 
例えばダンジョンを探索した、という出来事を描くとして、1から10までテキストで描くと膨大な文量になるが、だからといって「わたしは道中、山賊のアジトを見つけたから潜入してアイテムを回収してきた」と、一文で終わらせるわけにもいかない場合もあるだろう。その時は、プレイ動画をぽんと置いておけばいいんじゃなかろうかと。二次創作的なものに、そこまでがっつり力を使い果たしたくもない台所事情もあるにはある。
 
「わたし」を多次元的に描くことに興味も湧いている。テキストで描かれる「わたし」と、ゲーム内で実際に歩いて敵と戦う「わたし」。その2つを繋げて同一の物と定義できるのはテキスト表現しかない。これって、なんだか面白いな、と素朴に考えた。
 
 これくらいのことは誰でも思いつきそうだから、ネタとしての新しさはあまりなさそうだけど、トレーニングのお題としては上々かと自分では手応えを感じている。もちろん、トレーニングとはいえ、トレーニングだからこそ、今出せる自分を100%出し切る覚悟で作っていくことには変わりない。
 
とまあ、こんなところだろうか。言い訳も正当化も良いところに収まったから、後は心ゆくまでスカイリム遊ぶぞー。
 

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