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オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

その生き様くらいは真似させて欲しい / 「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011」 村上春樹

 

 村上春樹の長編を全て読んでからの本でしょうか。読んだ当時では釈然としなかったことに、軽い答え合わせができるかもしれません。何か一冊くらい読み直そうか、それとも読んでないあの作品にしようか。それにしても、もう還暦越えてるんですね。自分も歳を取るわけだ…。30年書き続けてきて、というフレーズに目眩がしました。そんなに時が経っているわけがない。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫) まっささんの感想 - 読書メーター

もうちょっと深掘る:現在"俺の村上春樹さんフェア"の真っ最中なのである。

 発端は、奥さんから楽天のお買い物マラソンのために、何でもいいから1つの店舗で1,000円以上の買い物をして欲しいとお願いされたのが始まりである。「本でもいいの?」と聞いたらOKということだったので、よしここは、と本書と「職業としての小説家」を抱き合わせて購入した。村上春樹の小説を書くとはなんぞや、小説家とはなんぞや、というテーマ2本立てである。

 そんなところに今度は図書館から「女のいない男たち 」の予約も完了したという知らせが入り、あちらは取り置き期限が決められているので、これはこれで早く読まなきゃいかんということになった。

 

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そんなことでハルキ・ムラカミ3本立てである。"俺の村上春樹さんフェア"なのである。

 村上春樹は唯一その作家の本だから読むという作家だ。残念ながら、僕も同世代ではありがちの「ノルウェイの森」から入ってしまった春樹ファンだけど、10代の頃から全部ではないけどだいたいの本は読んでいる。真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」という歌があって、それはジョン・レノンが好き過ぎだから聴くの止めるわ、いや嘘です大好きです、というなんとも突き抜けた愛に溢れた歌なんだけど、僕も村上春樹にはそれに近いものがある。

ジョン・レノン 今聴く気がしないとか言ってた三四年前
ビートルズを聴かないことで 何か新しいものを探そうとしていた

俺もいい加減、村上春樹から離れなきゃとか思って違う作家の本を読んだりして、その内に小説そのものに熱が冷めて、数年経ってそろそろまた村上春樹でも読んでみるかと一冊手に取ったら、挙句の"俺の村上春樹さんフェア"なのである。一周回って、僕は新しいものは見つけられたのだろうか。

本書は先日感想を書いた「純米酒を極める」と同じラインである。

 

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 30年以上小説を書き続けた大作家の歩みが凝縮されている。内容はインタビューだけにも関わらず、文量が多く重い本だ。村上春樹の主だった長編は全部読んでいる自分には、振り返りと答え合わせをするような感じで飽きずに読み進められたけど、そうでない人はまあまあキツそう。ご本人があとがきで述べている通り、同じ質問に対しての同じ回答が繰り返されるという場面もしばしば。僕は"その変わらなさ"みたいなものも楽しめたけど、村上春樹に大して思い入れがない人にはうーんと首をひねるポイントかもしれない。個人的にはまるで酒のことなど知らないまま読んだ「純米酒を極める」とは違い、作者の歩みとその作品をリアルタイムで読んできた下地があるので、多少角度の違う潜考の機会を得られたようにも思える。

 「良い物語は世界を変えることだってできる」という話が出てきて、最初はそんなバカなとか思っちゃうわけだけど、最後まで読むと、この人は本当にそれを大真面目に信じて小説家やってんだな、と納得できるようになる。そういう作家の本はあまり出会ったことがない。小説家という人種は斜に構えてなんぼ、みたいなところが多々あるはずで、案外「物語の持つ力ってすごいんだぜ」って真正面から大見得を切る作家っていそうでいないような。物語が持つ力が実際にはどれほどのものかということは測りようがないけど、まずはそう信じて何十年も人生捧げた人がいる、ということが勇気づけられるではないか。

 僕は職場でリーダー職をやっているけど、仕事への向き合い方が各々まるで違う。ことさら同年代(アラサー、アラフォー)には、手を抜いてほどほどに仕事をこなす術が極まってきている人種がいる。仕事に対する力配分はここまでと決めて、年齢を重ねることで培った器用さも相まって、周りから文句を言わせない程度にはやりきってから家に帰る人達。ワークライフバランスなんて言葉もよく見かけるようになったけど、なんだか僕は彼ら彼女らを見ているとどこか寂しい気持ちになる。何も過労死してまで働けと思っているわけではないけど、仕事に対して割り切ってしまうことで、大切な他のことも割り切ってしまっていないだろうかと余計な心配すらしてしまう。

対して(僕もそっち側だが)、「どうしてもその時ばかりは全力を出してしまう」という下手くそさ、バランスの悪さを修正できない同年代や先輩世代達がいる。ついついうっかり、その仕事を人生の一大事にしてしまう。タスクと割り切れない。終わってみればつまらない単純作業でも、その渦中に巻き込まれている間は本気にならざるを得ない不器用さ。何を俺たちは本気をぶつけあっちゃってるのさ、とふと我に返って苦笑する気持ちにもなるのだが、その時はどうしても深い所でそれを受け止めてしまう。社員もバイトも関係なく、そこそこで割り切ることができない人たち。

異論反論多々あるだろうが、仕事をそこそこでセーブしている人たちが、かといってそこで温存した力を仕事以外に回すというイメージが持てない。人間のその部分の体力って、グラスに注がれた液体のように、注げばそれだけ失われるようなものではなくて、七輪の中で燃える炭火のように、1度火がつくまで時間はかかるけど、芯が真っ赤に染まればじわっとしぶとく熱を発し続けるような、そういうイメージだ。仕事で芯まで火が付かない人が、それ以外の時間も有意義に使えるのだろうか。少なくとも僕はそういう人生を想像できない。

 その対象が何であるにしても、何十年もしぶとく燃焼して、その歩み振り返って幸せそうに語る人がいる。僕は世界中に読者を持つ大作家ほどたくさんのことを成し遂げられないかもしれないけど、その生き様くらいは真似させて欲しい。

拝啓、ジョン・レノン
僕もあなたも大して変わりはしない
そんな気持ちであなたを見ていたい どんな人でも僕と大差はないのさ
拝啓、ジョン・レノン
そんな気持ちで世界を見ていたい
雨も雲も太陽も時間も目一杯感じながら僕は進む

 ところで僕は17、8年前に表参道のとあるカフェで村上春樹と(たぶん)奥さんをお見かけしたことがある。それはまあ、本当にただそれだけなんだけど。

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