オムニヴォア

書くために読んだもの。読むために書いたもの。2016.10.2より。読書の記録を中心に、日々の潜考の記録。いつか自分の本を1冊でも出すのが夢です。オムニヴォア(Omnivore = 1.雑食(性)動物 2.知識欲旺盛な人)

「次」に向かって、第一歩 / ガリガリ書いていた小説の初稿がようやくフィニッシュ

 久方ぶりの更新。ガリガリ書いていた小説の初稿がようやくフィニッシュ。ちょうど1週間前に書き終えて、「ちょっともう書くのはお腹いっぱい」という状態が続き、やっと今回の執筆を振り返る記事をこちらに書いておこうという気持ちになれたのでした。

 書き上げた、といっても、途中どうしても筆が進まなくなって「ここは何々の描写」とト書きのようなものを仮挿入したシーンもあった。メタな部分は書き進められるのだけど、とある舞台に選んだ建造物について想像だけではどうしても納得のいく描写ができずそこを保留にしたり、これまたとあるカルチャー教室でのシーンで「ひとまず書いたけど、なんか浅い感」も放置したままにしてあったり。これからの数ヶ月?はこの保留や納得いっていない部分を穴埋めするべく「取材」に重きを置こうという計画だ。「取材」については、このブログを使ってログを書き溜めてもいいかもしれない、とか。

 書いている途中、そして書き上がった後に思ったこと。

 このブログを開いて、徐々に「モノ書きエンジン」が温まっていって、読書量も増えて、途中短編をガリッと一気に書き上げて。思い返せば、それは筋道通りの道程だったわけだけど、その渦中に身を置いていた時は平坦な心持ち、というわけにもいかなかった。

プライベートで厄介なものを抱えていて、それは気軽に誰かに相談できるものではなかった(と、過去形にできるほど、今も乗り越えているとは言えないのだが…)。どこかにこれを昇華させないと身が持たないな、という切迫した状況が煮詰まっていって、昨年末辺りから「よし!」決心付いて、僕はこの「厄介なもの」を作品にすることにした。

それはどこかで危険だなぁという直感もあって、例えばリハビリがてら短編を書いている時には、むしろ真逆に舵を切ってあえて自分から遠いものを掴まえにいく方向で進めていたりした。近すぎるものはかえってダメになる、という経験、小説に限らずモノ作りをしたことある人ならば皆経験があったりしないだろうか。ちょっと遠いもの、けどちょっと無理して手を伸ばせば掴めるもの、くらいが作品のテーマとしては収まりがよかったりしないだろうか。

 

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一方で僕は、「プライベートの厄介なもの」を抱えきれなくなっていた。だけどそれは酒の席で誰かに話して、タバコの煙と一緒にどこかへ霧散させてしまいたいものでもなかった。近すぎるものを形にするには、そのテーマ自体の強度が突き抜けてしまっている必要がある。当然、主人公には自分自身を投影するし、主人公の造形のみならず、あらゆる登場人物やそれとの会話のモチーフ、舞台設定や描写も素の自分のすぐそばにある引き出しから引っ張り出してくることになる。でも物語は物語。素のリアルが虚構に塗り替わっていく。大抵の場合、素のリアルさの迫力に虚構は負ける。虚構に成り果てたリアルの残骸の安っぽさに耐えきれなくて、その内にカーテンコールを迎えずに物語はそっと閉じることになる。そうならないだけのテーマ自体の強さを信じる必要があった。リアルから虚構に産み直して、なおまだ力を持っていてくれないと困る。

 ダメだったらダメでいいや、という開き直りもあるにはあった。これで少し心落ち着けば、それでいいやと。落ち着いたらまた平常運転の毎日に戻ればいいじゃないか、と。それだけでも目的達成として良いだろうと。だが、実際に書き始めてみると、実に生き生きと世界は動いてくれた。僕の「プライベートな厄介なもの」は、こうありたいと願っても様々な障壁がそれを現実にすることを阻害する、という図式になっている。そのどうにもならない現実を、僕は自分の物語の間に解き放ってみた。その空間で生まれた世界は、実に優しい世界だった。現実ではそうはいかない都合の良い改変があり、そこには願いがあり、祈りがあり、どうにもならないことへの無念さが反動になる。僕はこの物語の中で生まれたいくつかの命に、心からの祝福を送り、幸せになるための後押しを目一杯してやった。

自分で自分を慰めているだけの行為と醒めた気持ちもないわけではないが、それでも、僕自身はこの物語に救われ続けた。彼らが一生懸命生きているから、自分も頑張らなくては、どうにかやり過ごさなくては、と勇気をもらった。

無邪気な子供が書く夢物語ではないから、「空を飛びたいな」と願うと、魔法でポンと体が浮かび上がるようなことはない。僕なりにこの人生で学んだ世界の成り立ち方に基いて世界は作られ反応する。都合の良い魔法はナシだ。主人公が苦しむ時、神は神の視点で同じように苦しむ。ルール、のような何かを守りつつ、今を打開できる世界の改変を繰り返しながら、彼と僕とできつい現実を一緒に乗り越えていく作業だった。

書いて良かったと、今、心から思えている。

彼はあるべき場所に収まった。魂の深いところで行うイニシエーションはひとまず終わって、ここからはテクニカルな観点で肉付けをしたり整えたりする作業に移行していく。以前、「書き上がる作品が年1本では1ターンとして長過ぎる」というようなことを書いた記憶があるが、結果としてここまでどっぷりのめり込む一作品に出会ってしまったのならば仕方ない。とことんまでいくしかないと思っている。ここからの書き直しや、書き足しは、いつまでかかるかちょっとわからない。

 

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今のところ、ざっくり考えている流れはこんな感じだ。

まずはト書きで放置している部分を埋めていく

同時に第三者にはとても読ませられないな、と思うものは削ったり書き直したりする

二稿目が完成

これを誰かに読んでもらう

読んでもらっている間に、自分自身もクールダウン

また書き直す

納得できるまで読んでもらう、書き直すを繰り返す

ニ稿目の書き上がりまであと数ヶ月はかかるだろう。そしてニ稿目以降の作業は、パートナーが必要だ。何人か頼めそうな人が近しいところにいるし、これから意識的にそういう人との出会えるように動こうと思っている。

 これもまだ未定な予定だけど、メタな部分の吐き出しは終わった感があるから、日々のブログ更新も再開していこうかな、とも。読書も、まだ今年に入ってからは一冊しか読了まで行っていない。先日発売されたかの大作家の新作も手付かずだ。

 いつか一冊本を出す、とこのブログを始めて5ヶ月目。自分としては、それでもハイペースに進めていけていると思う。出版という夢を託す「本命の1本」を、こんなに早く見つけられるとは予想していなかった。一年ないし二年くらいかかるんじゃないだろうか、とすら思っていた。外の雪も溶けてきた。「次」に向かって、第一歩。

 

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駐車場に積み上げられた、汚い雪。雪国に住んでいる人には、春先にはよく見かけるおなじみの光景。純白なパウダースノーよりも、こういう生活感溢れる方がしみじみします。これがあと1ヶ月くらいで跡形もなくなり、5月にもなるとべちゃっとした道もすっかり渇きます。小説を書く作業に重ねてもしまいます。真っ黒になった心も、いつか溶けてなくなります。

にしても、もう少しきれいな写真撮れるスマホ欲しいなぁ。